うときゅういっき夜話 「ズレ」

2020/7/11

(うときゅういっき夜話 「ズレ」)

「なぁんか、ズレてんだよなぁ」

最近そんな光景をしばしば見かけます。

例えば、テレワーク時の朝。

自転車に乗って、そんなにスピードも出ていないのにヘッドギアをし、晴れてもいないのにサングラスをし、自転車上で3密でもないのに黒マスクをし、そのくせ信号は無視して走り去るほどに朝っぱらから「気合」の入っているサイクラーさん。

そうかと思えば、どう見ても過度にカラフルなスウェットスーツやランニングウェアを身にまとい、これまた必要以上に息を上げてやたら「ハッハ」言いながら、なぜか歩道ではなく、よりによって車の込み合った車道を走る、これまた「気合パンパン」なランナーさん等。

「なんで突然気合が入ったのか?」

「なぜ今、気合なのか?」

「コロナになんぞ負けたくはないから?」「ニューノーマルに備えて意識の切り替え?」「はたまた事前準備?」

といろいろ推測してみたのですが、どうも絵姿や光景と思いついた「動機」「起因」「趣旨」が今一つしっくりこない。

で、視点を変えてそれら動機、起因、趣旨を改めて考えてみると思いついたのが

リア充の「証明」

リア充というのは言わずと知れた「リアル生活充実」の短縮語。

しかし、よくよく考えてみれば、リアル生活(現実生活)が本当に充実していれば、何もそれを人様に「証明」をしたり「アピール」をしたりする必要はさらさらないわけだし、必要性すら思い及ばない筈。

だのに、それを敢えてせざるを得ないか、そちらに力点が置かれているのは、正に実態がそうなっていないからの逆証明でしかないわけで。

これを簡単に申しますと

「中身が満たされていれば見せ掛ける必要は感じない。反対に満たされていないからこそそう見せようと、見せ掛ける必要が産まれてしまう」

反対に我々個人事業主は今コロナ禍において、まさに「リア充の塊」となっております。

言わずと知れた「尻に火」状態で、とてもではないですが「見てくれ」や「見せ掛け」なんかしている余裕は皆無ですし、気合が現れすぎて、逆に違和感を与え、それがもとで客離れを起こす心配から却って「入りすぎている気合」を抑える方に、むしろ気が向いている位。

これをまた簡単に言うと「餌を追いかけるアニマル」と化しているから。

アニマルに肩書や衣装はありません。それどころか、特に狩りをする際には目立たないことが最重要です。

その現下、餌を取り逃がすまいと必死になって、アニマル化している商店主から見ると

「気合サイクラー」さんや「リア充ランナー」さんは、獲物を前に突如、旗を振りだしたような違和感と申しますか「場違い感」を無意識にも感得するからなのかもしれません。

おそらくコロナ下での「非日常性」が普段の抑制を吹き飛ばして「こういう状態ならこのくらい派手なことをやってもおかしくは見えないだろう」と思わせたからなのかもしれません。

立場の差がズレを感じさせたのかもしれません。