うとQブログ ニューノーマルサバイバル術「スッポン的性格の勧め」とシリーズ「8月の巻」発刊のご案内

2020/9/2

(うとQブログ ニューノーマルサバイバル術「スッポン的性格の勧め」とシリーズ「8月の巻」発刊のご案内)

「石の上にも三年」とか「継続は力なり」というと「辛抱」「忍耐」「我慢」などという言葉が浮かびがちですが、自分は「諦めずに続けていれば、いくらなんでも、知らないうちに、それ相応の力が付くだろう(効果が出てくるだろう)」くらいのことに捉えています。

弊社の外国人従業員も、1年前までは10回同じことを言っても「no problem」「だいじょボ。だいじょボ。じぇんじぇんモンダイナイ」といいながら、まるで何一つ分っていなかったのですが、最近では、言いつけたことがわかるどころか、自分の方から「提案をもってくる」ようにすらなってきました。

「新しいメニュー増やす。海老タンドリーとチキンソップ。お客さん色々食べられる。うれし、うれし、になる」とか。

で、その一年の間に何が起こったかというと、

数々の大困難。

そして、何故それが起こったのかとか、どうやったら切り抜けられるかとかを、毎朝始業前の2,3分、黒板に数字と表とイラストをチョークで書いて説明し、意見交換した事、多数回。

で、最後には必ずエロジョークを3,4発サービス。

すると10回ではだめなことでも、諦めずに365回位続けていると、次第に効果が現れ始めました。

同じく10回くらいの改善では伝達方法や共有方法が分からない事でも、流石に365回も毎日毎日改善し続けていると、数字や表、イラストを描くタイミングや表記方法なども、ブラッシュアップされ、なかんずく、その「見える化」(visualizing)によって「なぁんだ、説明の仕方が悪かっただけで、理解力や関心がないわけではなかったのだ」という事もわかってきました。

それを自分自らが分かるには、たった10回のトライでは全然足りなくて、365回位やる必要があったのだという事も。

昔からいろんな仇名を頂戴して参りましたが、今回は「スッポンの宇都宮(うとQ)」という仇名の元になった性格が、幾分幸いしたようでございます。

自画自賛」且つ「我田引水」のおそまつ、ご容赦のほど、お願い仕る(つかまつる)

(ご案内)

弊社発刊シリーズ「コロナ禍同時進行執筆 ナマステ別館堂主人 ニューノーマル探索サバイバル日記」の

「8月の巻」を9/5に発売予定です(発売から5日間は無料購読できます amazonにて)

既刊の同「1月の巻~7月の巻」及び「人生終わったなと思う間もなくトンネルの闇を抜けて広野原」もお読み戴ければ幸いです。

うとQブログ ニューノーマル必携 開拓者魂(frontier spirit)?と新刊本のご案内

2020/9/1

(うとQブログ ニューノーマル必携 開拓者魂(frontier spirit)?と新刊本のご案内)

「新商品」「新品」「新開発」の新は、何となく新鮮さやワクワク感を抱かせて嬉しい気持ちになります。

反対に「新事実」「新事態」「新時代」などは、備えがまだできていないうちに突如生起するので、何となく身構えや警戒感を呼び起こします。当然「新常態(ニューノーマル)」もこちらの部類に属します。

ところが「新世界」や「新機軸」「新次元」は、期待感と同時に不安要素の入り混じった言葉のような感じです。

言ってみれば「吉と出るか凶と出るか」「丁と出るか半と出るか」の確率50対50で半々のフィフティーフィフティー

まさにリスク・テイクの大賭博、大博打。

しかしここで賽子(さいころ)を振らないことには、双六(すごろく)のその先へは進めない。双六なので先に進むこともあれば逆に進みすぎて戻ることもあるかもしれないが、とにかく賽子(さいころ)を振らないことには、その先へ進むことは絶対にありえない。

ならば座して死を待つ「停滞」よりも、その先確実にあるかどうかはわからないが、リスク覚悟で「新世界」「新機軸」「新次元」の「新発見」を求めて未来に駒を進める。

そこで何が見つかるのか?1492年のアメリカ大陸発見ならぬ2020年以降の「新常態」発見の「大航海時代」の始まり.

まさに今求められているのは、あの時の「開拓者魂(フロンティアスピリット)」であるようなきがしないでもありません(ただし今回こそは行った先、見つけた先を荒らさぬように)

 

8/31、アマゾン電子書籍kindle本にて

コロナ禍同時進行執筆

カリー屋 ナマステ別館堂主人

ニューノーマル探索サバイバル日記」

2020年1月の巻~2020年7月の巻 7巻一挙同時発売

定価105円(1$)

本日より9/4迄無料購読キャンペーン実施

著者名「うときゅういっき」で検索。amazon kindleページに飛びます。

 

以上、よろしくお願いいたします。

 

ナマステ別館堂主人:うときゅういっき 

2020年9月1日未明に記す

うとQブログ Hangout(たまり場)考

2020/8/31

(うとQブログ Hangout(たまり場)考)

テレワークになって、仕事の後、会社近くの飲食店で同僚と飲む比率が下がりました。

コロナ禍による自粛解除後も、感染への恐れから地元に早く帰る傾向が顕著です。

そのおかげで、当店は都会の飲食店ほど売上が滅茶苦茶に落ち込まずに済んでいますが、逆にコロナ禍後は、お客様が地元から都会に戻る分、売上減少の懸念があります。

しからばどうすればいいのか?

簡単に言うと「地元の居心地の良さ」を増すことです。

コロナ禍後もテレワークの比率はそう下がらないでしょうから、直接「隣にいない」同僚との関係は疎遠になり、本来直接面談を求める「人目人科」の特性として、身近に呼吸音や心音が聞ける地元民との接触機会が増えるはずです。

まず、第一に、地元の方が利害関係は全くないとは言えませんが、勤め先ほど露骨ではないでしょうし、いろんな立場や職業の人が「多民族国家」にも似て周りにいるので、そこでの暮らしがより楽しくなるような気もします。

であるなら、それを(或いは其処を)より楽しく、面白くするイベントや場所を提供すれば、当店にとって、又は近隣商店街にとってもこの上ない販促策になる筈です。

しかも地域の活性化にも寄与できますし。

この考えをもっと普遍的、敷衍的にコロナ禍後のニューノーマル世界観、価値観に当てはめてみると、回復後も経済活動、コロナ禍前比7割がマックスという「新常態」の中にあっては、最早「経済」という指標(お金の力)では人々の「幸福」は満たされないことになりそうなので、その穴埋めをする者との合計による「幸福」の発見が求められるようになるとすると、その「欠落部穴埋め」の第一候補は「心理的満足度=充足感」を基にした「世界観」「価値観」になるような気が、不図致しました。

そもそもこのコロナ禍初め異常気象等が地球生態系からの人目人科への警告であるなら、経済7割マックスはエネルギー的には誠に正しい在り方で、上記の心理的満足度=充足感が追加的新指標であるとするなら、それ自体の物理的エネルギー発生量はそれ程多くはない筈です。

では、上述した「心理的満足度=充足感」は、具体的には何なのか?

卑近な例として、手前どもの「お店」を参考に申上げれば「お祭り」とか「たまり場」みたいなものではなかろうか?という気がしております。

そういえば以前私共の「ナマステ別館堂」は国際間交流を模索する「Hangout(たまり場)from overseas(海の向こうから)」という名前でしたっけ。

今後は国際間交流に加えて、地元の世代間、隣人間(あなたの隣にたまたまいる人)交流に拡大できればいいなぁ、と現「ナマステ別館堂主人」は思っております。

あと、地元の社会福祉関係や地域コミュニケーション関係のNPO自治会との連携も。

うとQブログ 「ニューノーマル考」と「本日発売」 新刊本のご案内

2020/8/30

(うとQブログ 「ニューノーマル考」と「本日発売」 新刊本のご案内)

ニューノーマル(新常態)」を探索する前に、大切なことがひとつ。

それは、自分にとっての「常態(ノーマル)」をどう認識しているか?です。

安心で安全。常に平時で「意のままになる」のが常態と思っている人と、

いつ何が起こるか分からない。常に不確実が常時で「意のままになること等ほとんどない」と思っている人。

その差は今回のコロナ禍、風水害、異常気象、経済の大減速に際して如実に表れました。

前者は「こんなはずじゃない。何とかしてよ」

後者は「また来たか。今回のはかなりデカいが、また超えるしかないな」

今回の件に関して「ニューノーマル」とメディアが騒ぐのは、どうも前者に立脚してのような気がします。

しかし、我々が認識を改めないといけないのは、後者へのシフトそのもの。

そうして、それを超えてサバイバルするためにはどうすればいいのか?や、大袈裟ですが、これから、どのような「世界観」や「価値観」を持つのが理にかなっているか?という認識の切り替えや深堀ではないでしょうか?

それをここではマスコミやメディアの言う前者とは違った立ち位置で探り、サバイバルにつながる道を見つけたいと思っております(敢えて大風呂敷を広げさせて戴きます)

 

本日、アマゾン電子書籍kindle本にて

コロナ禍同時進行執筆

カリー屋 ナマステ別館堂主人

ニューノーマル探索サバイバル日記」

2020年1月の巻~2020年7月の巻 7巻一挙同時発売

定価105円(1$)

明日8/31より5日間限定無料購読キャンペーン実施

(自分の手違いでキャンペーン開始が発売日翌日にずれてしまったことを深くお詫びいたします)

著者名「うときゅういっき」で検索。amazon kindleページに飛びます。

 

以上、よろしくお願いいたします。

 

ナマステ別館堂主人:うときゅういっき 

2020年8月30日未明に記す

うとQブログ 誤解を覚悟で その3 ご案内

2020/8/29

(うとQブログ 誤解を覚悟で その3)ご案内

本記事は、文字数が一部SNSの規定数を大幅に超過していることと、それはクリアーできても内容が、単語自動判別による精査不十分によると思われるのですが「広告ポリシー」上の許容範囲の観点から、自社サイトのみでの公開となります。

(決してエグイ記事等ではなく、仮説と事実を淡々と書き連ねたものですから、ご安心を)

URLは

http://utokyu.co.jp/index.php

又は

http://utokyu.co.jp/electricpublishing.php

です。

記事は当該ページの下方にございます。スクロール用カーソルをダウンしてくださいませ。

又、弊社9月発売予定の次号「ニューノーマル探索サバイバル日記」8月の巻より、SNSでは掲載しない記事も発刊本には掲載しておりますので、よろしければお読みくださいませ。

 

ご案内として、記事冒頭の書き出し2行だけ掲載いたします。

以下

「数字はうろ覚えなのですが、このコロナ禍において旦那さんが失職又は、かなりの減収になっても、働きに出ない専業主婦が40%?いるという記事を目にしてちょっと驚きました…」

うとQブログ 餅は餅屋

2020/8/28

(うとQブログ 餅は餅屋)

受け答えに情味や思いやり、ユーモアもなく、自分のテリトリーの知識にも乏しく、組織横断的な話となると、それまでの居丈高な態度を一変して途端に「逃げに回る」窓口で、人間ならではの情味、思いやり、ユーモアがまるで期待できないのであるなら、少なくとも後者の知識の正確さ、横断的な事柄に関わる検索照合能力とスピードを持ち合わせたAIロボットの方が余程ましでしょう。

となれば、早晩、役所、銀行、病院等の窓口の90%はAIロボに置き換わっても不思議ではありません。

所属組織体の経営的に見ても「退職金いらない」「給与いらない」「人事考課必要なし」「メンタルメンテナンス不要」となれば願ったりかなったりの筈。必要なのはIT&メカニズムメンテナンスマンの経費のみ。

となれば恐らく5年以内には、否応なくこの流れは実現してしまうでしょう。

が、しかしそうなると、失職した窓口の雇用をどうするのか?という問題が起きますが、これはある意味今まで胡坐をかき過ぎた故の自業自得なので、新しいスキルノウハウを身につけなさいね、というアドバイスをする位しかありません。

問題は、その身に着けるべきスキル、ノウハウとは一体何なのか?です。

しかしこの答えは既に冒頭に出ていると思います。

人間ならではの、情味や思いやりユーモアのブラッシュアップとそれを活かした職の創造です。

この点では接客業、或いは接客業務というのがこれに最も近いと思います。

そうして極端に言えば、お客様一人に対して一人のスタッフ(接客業務従事者)がサポートする。人間の声と体温(暖かみ)で。

まさに効率万能のAIとは正反対の、徹底的に不効率な人海戦術大作戦。

こうなれば、多大な失職者分だけ雇用が生み出せますし、AIとかち合わなくて済み、棲み分けと共生が可能になります。

餅は餅屋。お互い特異な分野を分担する。これに越したことはありません。

AIをフィンテックや暗号解読にだけ使うなんて勿体ないし馬鹿げています。まずは役所にでも使うのが一番だと思いますけれど、ね。

うとQブログ 速やかに行われる必要があると思われる「真犯人探し」

2020/8/27

(うとQブログ 速やかに行われる必要があると思われる「真犯人探し」)SNS

我が国の国民というのは、自分の観察するところによれば、人の為に役立ったり、動いたり、助けたりすることがとても好きな、或いはそれを「嬉しい」と感じる国民だと思うのです。

例えば、震災や風水害が起きると、多くの人がボランティアで現地入りするのを見てもわかります。

しかし、都会生活の中では、それとは全く反対に、困っている相手が身近にいる場合、何故か見て見ぬふりをするケースが頻繁に見かけられます。

同じ国民、いや同じ人でありながら何故このような逆転現象が起きるのか?

都会生活の中では、言い方を少し変えて言えば、非常時ではない日常生活の中では、何故裏返ってしまうのか?

何がそうさせてしまうのか?

これまた明け方、つらつら考えてみました。

で、思ったのが

「同時に多くの人が集団で行うか、一人で行うか、の差」

「周囲にある善意の人の目と、疑義の人の目の差」

でした。

要するに都会生活のような場で、人の為に「役立つ」「動く」「助ける」などの行為は周囲からは、まず「異質」「目立ちたがり」「偽善」「スタンドプレー」等の負の評価が先行するか、本人自らがそれを想像して二の足を踏む、手が出ない、息苦しくなるのではないかなと。

バスや電車の中でお年寄りや体に不自由を抱えた人に席を譲る気持ちは十分あるのに、それができない(特に若い人)

それはSNSなどで、何人かの有名人が慈善活動や救済活動をすると「ことあるごとに批難中傷」を受ける恐ろしさを目の当たりにして、腰がすくんでしまうからのような気がします。

或いは近くで、ひそひそ話か、敢えて聞こえよがしに

「カッコつけやがって、よっ」とか「いい子ぶっちゃって、さっ」とか「何様のつもりよっ」とかを耳にするので(特に年配の声)

冒頭でも申上げましたが、本来我が国国民は「人助け」の好きな国民性を持ち合わせているのを強く感じております。

だのに、この優れた特性を「偽物」「まがい物」「薄汚れたもの」としてみるようにしてしまっているのは、いったい何なのか?

いつかその「真犯人」を突き止め、捕縛し、二度と悪さができないようにしてやりたい気がしております。

 

(付記1)

只今8/30発売の新刊本のアナウンス作業で天手古舞になっております。メッセージをくださった方々には、今しばらく返信のご猶予を。

(付記2)

過去記事、過去作品、既発刊本、発刊予定本は弊社HPの「ナマステ別館堂出版」ページへどうぞ。

以下のURLをクリックしてくださいませ。

http://utokyu.co.jp/electricpublishing.php