うとQブログ 速やかに行われる必要があると思われる「真犯人探し」
2020/8/27
(うとQブログ 速やかに行われる必要があると思われる「真犯人探し」)SNS版
我が国の国民というのは、自分の観察するところによれば、人の為に役立ったり、動いたり、助けたりすることがとても好きな、或いはそれを「嬉しい」と感じる国民だと思うのです。
例えば、震災や風水害が起きると、多くの人がボランティアで現地入りするのを見てもわかります。
しかし、都会生活の中では、それとは全く反対に、困っている相手が身近にいる場合、何故か見て見ぬふりをするケースが頻繁に見かけられます。
同じ国民、いや同じ人でありながら何故このような逆転現象が起きるのか?
都会生活の中では、言い方を少し変えて言えば、非常時ではない日常生活の中では、何故裏返ってしまうのか?
何がそうさせてしまうのか?
これまた明け方、つらつら考えてみました。
で、思ったのが
「同時に多くの人が集団で行うか、一人で行うか、の差」
と
「周囲にある善意の人の目と、疑義の人の目の差」
でした。
要するに都会生活のような場で、人の為に「役立つ」「動く」「助ける」などの行為は周囲からは、まず「異質」「目立ちたがり」「偽善」「スタンドプレー」等の負の評価が先行するか、本人自らがそれを想像して二の足を踏む、手が出ない、息苦しくなるのではないかなと。
バスや電車の中でお年寄りや体に不自由を抱えた人に席を譲る気持ちは十分あるのに、それができない(特に若い人)
それはSNSなどで、何人かの有名人が慈善活動や救済活動をすると「ことあるごとに批難中傷」を受ける恐ろしさを目の当たりにして、腰がすくんでしまうからのような気がします。
或いは近くで、ひそひそ話か、敢えて聞こえよがしに
「カッコつけやがって、よっ」とか「いい子ぶっちゃって、さっ」とか「何様のつもりよっ」とかを耳にするので(特に年配の声)
冒頭でも申上げましたが、本来我が国国民は「人助け」の好きな国民性を持ち合わせているのを強く感じております。
だのに、この優れた特性を「偽物」「まがい物」「薄汚れたもの」としてみるようにしてしまっているのは、いったい何なのか?
いつかその「真犯人」を突き止め、捕縛し、二度と悪さができないようにしてやりたい気がしております。
(付記1)
只今8/30発売の新刊本のアナウンス作業で天手古舞になっております。メッセージをくださった方々には、今しばらく返信のご猶予を。
(付記2)
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