うとQブログ 元気のなさの正体 その3

2020/8/8-2

(うとQブログ 元気のなさの正体 その3)

幅にして、平均台横方向、差し渡し並みの狭さ。

しかもオリンピック会場の衆目集まる中での、高難度技の視線要求。

日々、こうしたレベルを衆目「監視」の中で常に求められているような気がしていれば、とてもじゃないが、おいそれとは登場しにくいでしょうし、一挙手一投足に全神経を集中せざるを得ませんから、身も心もカッチンコッチンになるのは当然でしょう。

そうして、お互い同士が、自分がするときは演技者として、相手がそれを見るときは観客として、或いは相手が演技者の時なら、自分が逆に観客として、相互に縛りあっている。

しかしその観客は、オリンピックの時とは正反対に、相手が演技者の時には、その敵失を密かに願っている。

では、その元は一体何なのか?

それは、我が国国民が古来より珍重してやまない「形式美」への希求が、ある時どこかでねじ曲がってしまい、その後、数限りなく変異を重ねた結果、今の時代において疫病の如く猛威を振るっているような気がします。ワクチンもないまま。

何よりもまず、要求レベルの幅と高さが余りにも限定されすぎ、それ以外は一つ欠けても「全くの無意味」となれば、鼻からやる気がなくなる人がいても仕方ありません。

それも又、元気のなさの原因正体。

何せ最高点が「減点なし」のゼロ、後は引かれるばかりなのですから、やる気は失せ、元気が出る筈もないでしょう。

少なくとも、初っ端くらいは、幅を広くとり、ハードルを下げ「初めだから失敗の百や二百はOKよ!」位にしておいてあげないと、誰一人として「元気獲得競技」に参加する人はいなくなってしまうような気がしております。

「悲しいかな」