うときゅういっき夜話 適者生存の為の「学習の勧め」個人的な深い反省より

「なんという幸運。あなたは選ばれた人だ」

等という口車に乗って、その気になるようであれば、これはもう思考回路的には末期的症状かもしれません。

今こうしてここに居るのは、先般からの記事でも申上げておりますように、たまたま今時点の「生存条件」の枠内にいるという線引きの結果からにすぎません。

まず、生物学的或いは医学的生存条件に合致しているから。

そうして今一つは経済的条件に合致しているから、です。

ところが今回、その第一条件である生物学的要件の部分を、コロナ禍が直撃しました。

同じくそのコロナ禍が、経済的要件の部分をも直撃しております。

簡単に言うと「適者生存要件」が我々を篩(ふるい)にかけて選別し始めたとでも申しましょうか。

それに対し我々人類は、まず、第一要件に対して疫学的対応を取り、第二要件に対して国はお金の「供給」を、国民諸氏はお金の「ため込み」をするという行動に出ました。

コロナウィルスというのは、主に呼吸器系疾患の病を引き起こします。その結果酸素獲得不足になり、血流にのって酸素が体内の隅々にまで行かなくなり不全を起こします。

同様に、経済の血液である「お金」の供給不足(主に不測の事態に備えてのため込み)によって社会機能が不全を起こしもします。

この解決策としては、疫学的にはワクチンの開発、経済的には「ため込むだけではなく、未来に向けての投資」を怠らないことが大切なのではないでしょうか。

不測の事態に備えてお金をため込んだ。しかし、そうして生き延びたとして、未来に向けての投資をしていなければ、その生き延びた先で待っているのは「生き延びはしたが、結局あれは延命でしかなかった。行った先では、何も待っていなかった」という悔悟の念が残るだけかもしれません。

人間様以外の生物たちは、思考がシンプルな分、こういった「適者生存の篩(ふるい)」の選別に対して、素直に学習し、進化、適応をし、その適者生存の範囲の中に納まります。つまり生き延びていきます。

ところが、人間様は、脳が発達した分、思考力、想像力が却って邪魔をして、余計な迷妄を生み出し、せっかく学習したことがそれらに紛れて、いつの間にか薄められ、忘れてしまう。

ひょっとして「歴史は繰り返す」というある種、性懲りもなく、その忘れっぽさ故の「過ちを戒める言葉」は、他の生物諸氏ではなく「人間様にだけ当てはまる警句」なのかもしれません。

こうしてみると「我々は万物の長、霊長類、選ばれし存在、エヘン!!」などとふんぞり返るのはいい加減やめにして、少しは他の生物諸氏を見習って謙虚に学習することが今、一番必要なのではないかな、と個人的には深く反省しております。