うときゅういっき夜話 「転んでもただでは起きない」ぞ

コロナ禍渦中、昨今の世界情勢の流動化をみていて、不図ある言葉を思い出しました。

嘗て、言われた言葉「不確実性の時代」

しかし、これはよく考えてみれば、世の中が不確実性の時代に突如変わった、或いは不確実性の時代に突然突入したというのはおかしな話で、世の中が不確実であることは、有史以来少しも変っていない事実だからです。

又、一方、80歳の爺さんの先行きが短く、20歳の青年には未来があるというのも、単にそれは「一般的には」の話でしかなく、20歳の青年の方が交通事故や自然災害等不慮の出来事で先に他界する場合だって、多々あるわけです。

そのように考えてみると、確実なのは、自分が無事に生きているのは「今」だけであって、それこそ1秒先はわからない「一寸先は闇」「船底一枚下は地獄」でしかなく、その事実に気づくと、日々の暮らしに対する認識や態度が大きく異なってくるような気がします。

平たく言うと「一瞬冷や汗が出る思い」から、とでもいいましょうか。

そうなると、まず変わってくるのが、一瞬たりともおろそかにはできないという緊張感のレベルです。

そうして次には、思い通りにならない他人任せや成り行き任せばかりになんかしていられない。少なくとも少しはましにコントロールできる自分範疇のフィールド内に取り入れて、自分で何とかするようにしないと身が危険にさらされて危ない、となるような気がします。

これも平たく言うと、プロにお任せと言いつつその実、中身は完全にブラックボックスでしかなく、いざという時に全く自分の意思での改善作業に手の施しようがない「投資信託」の歯がゆさや苛立ちから、選択責任は自分に来る怖さはあるものの、手元にあって確実に自分の目に見え、コントロール可能な「個別一品選別株投資」に切り替えるような感覚かもしれません。

「同じダメでも、訳も分からず、は御免だ。たとえ結果はダメでもせめて納得づくのダメくらいにはしたい」といったような思いから。

もし、この切り替えが多く起これば、今回のコロナ禍は我々の「自覚自立」のきっかけとして大いに役に立つことになるかもしれません。

「災い転じて福と為す」と申しますか「好機到来唯一渦中」(自作漢語)とでも申しますか。

どうせ転ろぶなら「転んでもただでは起きない」ようにはしたいとおもっております。