うときゅういっき夜話 「ジジイの大反省」

2020/7/9

(うときゅういっき夜話 「ジジイの大反省」)

風林火山

「大胆にして細心」

「多にして一(いつ)、一(いつ)にして多」

と思いつくままに、三つ成句を並べてみて思い当たったのが「偏り(かたより)」という言葉でした。

風林火山」とは嘗ての武将武田信玄公が旗印にした文言で以下となります。

「速きこと風の如し、静かなること林の如し。激しきこと火の如し。動かざること山の如し」

次の「大胆にして細心」とは、自分が知る限り彼の巨匠黒澤明監督に冠された言葉です。

そして最後の「多にして一、一にして多」は自作で、般若心経の「色即是空、空即是色」からの連想です。

で、こうつらつらと成句を並べてみて「何が偏っているのか」といえば、戦後生まれ、戦後育ちの我々老人は、知らず知らずの内に上記文言の中の一部の文字のみを偏重してきたのではないのかな?ということです。

何の事かを申し述べさせて戴きますと、元々これらの成句は「両極の中での変化、変動」を表しているのですが、実際には

風林火山」の内の「動かざること山の如し」の「不動」のみを珍重。

「大胆にして細心」の「細心」のみを偏重。

そして「多にして一、一にして多」の「一」のみに傾重と。

纏めると「不変不動」且つ「微細精緻」で「均一一丸」がわが国民性と相まって戦後「海外貿易」により「奇跡の復興」と称される我が国の繁栄の元となったような気がしますが、現下においてはその成功体験の呪縛から、却って「風林火」の「動」や「大胆にして細心」の「大胆」、「多にして一、一にして多」の「多様性」の部分がなおざりにされたまま時代の変化についていけず、硬直化したまま置いてきぼりを食っているような気がしたのです。

ところが我々ジジババは、過去の成功体験からそのことをなかなか受け入れられずに、何とか権威を維持し、それを若い者に認めさせようと「虚勢」「意地」や「沽券」を必要以上に振りかざしているような気もします。

今回のコロナ禍で図らずも露呈した大企業やお役所の見事且つ致命的なまでのDX(デジタルトランスフォーメーション=世界潮流であるデジタル変革)への遅れも、何のことはないその一端が現れたに過ぎないのではないでしょうか?

緊急時に際しての役所手続きの目詰まりや危機に際しての初動の遅れ(不動さ)や変わらぬ横並び意識からくる大胆さの欠如、男気、思い切りのなさ等々は、何のことはない若い世代から始まったことではなく、我々老人から既にその種を撒き続けてきたような気がしてなりません。

そうしてそれを若い世代のせいにする傲慢さも。

道を譲っても礼を言わない無礼。周りに対する気づかいのなさ。レジ袋有料化やつり銭のトレー置き渡しへのイチャモン。反面、見て見ぬふりをする事なかれ主義や臆病。今少し我々老人は世界の変化を素直に受け入れ、聞く耳を持つ謙虚さにそろそろ思い当ってもいいような気がしております。

自らへの深い反省から。