うときゅういっき夜話 「前向きな闇談合の勧め」
2020/7/8-2
(うときゅういっき夜話 「前向きな闇談合の勧め」)
以前にも別なところでちょっと書いたのですが、困難あって最後はめでたしめでたしの「ハッピーエンド」のその後日談はないのかな?というお話。
で、本日は、話をやや斜めに振って、困難ばかりがあって何も解決しないままになっていた「報道内容」の後日談はないのかな?という改題版。
コロナと言ったらコロナばかりの報道。
九州激甚水害といったら激甚水害ばかりの報道。
で、仮に今度は首都圏直下型地震が起こったら直下型地震ばかりの報道になるのでしょう?
我々視聴者から見れば、その報道が画面上、為されなくなったら、あたかもその案件、事件、災害が消えてなくなったような、解決してしまったような印象や錯覚を抱いてしまう傾向があるのですが、実際には報道がされなくなった後も、その場その地では困難や戦いが消えてしまったわけでも解決したわけでもない筈でしょう。
場合によってはそれらが積み重なって二重苦、三重苦になっている場合だってありそうです。
本件については見る側にも確かに多々問題はあるのですが、同じく報道する側にも多々問題がありそうです。
「おい、今日お前のところ何を流す?えっ?じゃぁ、うちもその辺で一線並びにそろえておくわ」
と、言わずと知れた、世界に有名を轟かせたる、我が国サラリーマン報道機関の「突出を避け、石橋をたたいても渡らぬ横並び意識丸出し報道」
で、その結果どのチャンネルを見ても同じような報道内容の山、山、山。
もううんざり
「あ、省も懲りずに、またやってらぁ」
であるなら、被災者、被災地の為にも、局の為にも、見る側の見識の為にも、三方両得になるよう、
例えばこんな風にはできないものでしょうか?
「A局はコロナ、B局は水害、C局は地震を流そう」
となると各局財務担当さんや政策プロデューサーさん側は必ずこういうでしょう。
曰く、それでは視聴率(実入り)に差が出て、どの局も貧乏くじを自ら進んで引くわけがない、と。
であるなら、上述の日々行っているプチ闇談合を逆手活用して
「こと国民的有事の報道に際しては、報道同時間帯の広告料収入は各社合算の上、後日均等割り配分で行きましょう」
とか、柔軟な運営で役割分担するとか言った発想は起きないのでしょうかね?
資本主義陣営であり、自由主義国家であるはずの我が国の報道機関が、戦後いつまでたっても戦前の大政翼賛会発行大本営報道と同等、アジア大陸の端っこにある「どこぞの国」と同じ傾向というは、いささかどうなのかな?と思うことが多い昨今でございます。
(追記:この選択肢の狭さ、硬直性から、国民諸氏、特に若年層はTV番組を捨て、自分で選択できるネット(記事・番組)に流れているやもしれませんね)