うとQ夜話 「意地悪」分析

2020/7/15

(うとQ夜話 「意地悪」分析)

いじめと意地悪。

どちらが悪いか?

むろんどちらもよくありませんが、自分の感覚では、圧倒的に後者の方が悪辣だと思っております。

何故か?

いじめにはある意味、それをすることで「罰せられる」危険性が伴います。ところが意地悪は、その危険性をまず除外して、こっそりと隠避にやる「卑怯さ」を感じます。

(TVアニメちびまる子ちゃんに出てくる「いけずぅ(=いじわるぅ)」とは全くレベルの異なる陰湿さ)

例えば、気づいているにもかかわらず、気づかぬふりをして、通行の邪魔をする。

近づくと

「おや(あら)、ごめん(なさい)。全然気づかなかった(わ)」

嘘をつけ!!って。

意地悪とは日本語では、読んで字の如く、持っている「意」識の「地」合い(そのもの)が(もうすでに)「悪」い。で、意地悪。

今、我が国では、子供の間や職場での「いじめ」が問題になっていますが、その遥か数万倍の数で「意地悪」が発生しており、そのことはどのメディアにも取り上げられておりませんが、自分としては、こちらの方が余程、我が国の今後を考えるうえで、より重大且つ喫緊の問題だと感じております。

では、何故意地悪が発生するのか?

それは、「自分に気づいてくれないことへの意趣返し」だと読んでおります。

要するに我が国国民は途轍もなく「やっかみ」が強く「すぐに不貞腐れる」傾向がある。元をたどれば、子供のころちやほやされて育てられ、大人になるとそうはされない。で、

「子供の頃みたいにいい子、いい子、して。あたしを一番先にして」

「(わたしは生涯不変、特別待遇VIPのはずでしょ)なんでそうしてくれないの?」

「してくれないなら、拗ねてやる」

この国民全般に蔓延しているある種の精神的疫病は、表向きちやほやされているのに、その実は、少しも尊重されていないことを密かに感じることから生まれる「寂しさ」故だと自分は推測しております。

これまた当たるも八卦、当たらぬも八卦にて。