うときゅういき夜話 本当に言いたかった「ニューノーマル」ビジネス

2020/7/4-2

(うときゅういき夜話 本当に言いたかった「ニューノーマル」ビジネス)

直近の記事で書いた内容で、何かいまひとつ率直に書きたいことを探り当てていないな!!と。

何か言いえていない。なんとなく不完全燃焼。

で、そんな気持ちで仕事の後、自宅一人の飲み会を自宅でしながらテレビを見ていたら

「琴バスのバーチャルツアー」の映像が流れました。

もちろん、今コロナ禍での売り上げ激減の回避策の一例としての特集でした。

そうして、そのツアーを終わった後の全国からのバーチャルツアー参加者の感想

「参加してよかった。なんというか、参加してよかったなぁって」

映像を見る限り、現地に行った方がよっぽどいいことが分かりましたが、それでもそれをいいという参加者の顔を画面で見る限り、取材対応で作っているようにも見えない。

多分、本当に良かったと思ったんだろう。

では、何故?

自分の見ているバスツアーとして、それほどのレベルではない映像と、参加した人の決して嘘ではない満足の違いは?

それで思ったのですが、参加された方は、参加したバーチャルバスツアーの行った先の映像に感動したわけではなく、むしろここまで、映像のほかに、参加した気分になるスタッフの流す現地直で張り付いてのライブ映像だとか、立ち寄り先の事前配布(郵送)の昼食やお土産などの、計り知れない努力に対して、同じ働くものとして「ここまでやるか!!」という琴バススタッフの涙ぐましい努力に対して

「感動をした」からなのではないかな?と思った次第。

その現場に立ち会うことができたという満足感と稀有の事態に接したとう希少価値が生み出す、子供時代以来長らく忘れていた「新鮮な」感動。

まさにこれからは、モノより金儲けより「感動を一番欲しかったものとして価値と考え、それを提供することを喜びと考えビジネスの根幹に置く」新しい時代に入りつつあるのではないか?そんな気がした次第です。

そうして、上述の違和感の答えとして「感動を一番の価値とする」ことが本当に自分の言いたかったことのような気がします。

ニューノーマル」が今後のビジネスの適者生存条件の必須条項であるならば。