うときゅういっき夜話 第七回 本日は、ちょっと興奮気味に

 

「適者生存」

最近、自分の中でみるみる頭角を現してきたのが、この言葉です。

皆さんお察しのとおり、コロナ君出現の影響です。

地球の歴史、生物の歴史、人類の歴史の中で、残ってきたものは、その環境乃至環境の変化に適したものだけだったという事実。

決してその大きさ、その当時の権勢力の故ではなかったという事実。

そうして、それらは、権勢を誇っていた側から見ると、全く別の選別基準に従っていたのだと、後日になって分かる「驚愕すべき」事実。

例えば、一時、陸上を席巻した、到底滅びることはないと思われた巨大恐竜が亡び、小さな哺乳類が生き残ったのも、アジアヨーロッパにまたがる広大な版図を有し、同じように旭日破竹の勢いを示して、よもや滅びることがないと思われた「元」帝国すら亡び、その帝国の前には領土的にはちっぽけで、虫けら同然のわが国が存続できたのも「適者生存」の原理原則の故。

そこで、現在、超近視眼的になっている我々の目を、この視点まで引き上げてみると、コロナ君の強さと恐ろしさが見えてきます。

一言でいうと、コロナ君の方が我々人類よりも適者生存率が高いであろうということです。

もう少しわかりやすく言いますと、コロナ君たちは現環境の「下で」適者生存を図る戦略を取っているのに対し、我々人類は、その快適指向が生み出す欲望の総和量が、地球環境が受容できる総和量を何倍も超えてしまい「適者生存基準」そのものをないがしろにしたまま、破壊し続けているからです。

「人類とて、単に地球上のひとつの「種」にすぎないと判断基準を持った地球環境という名の法主」から見れば、どちらを存続させたいかは火を見るより明らかでしょう。

不吉な予言ですが、恐らく上述のような理由で、このままいけば、人類はこの戦いに敗れてしまう公算が大だと思います(差岩にもcovid-19に勝ったとしてもいずれ訪れるcovid-2Xとかcovid-Nとかに)

であるなら、どうすれば勝てるのか?

第一は、何よりもまず自らの地球「経済的サイズ」を環境「超」から環境「下」に至急変えることでしょう。これには相当な痛みが伴います。平たく言えば経済のダウンサイジングによって生活が「貧しく苦しく」なります。しかもかなり長期間にわたって。

そうしてこれがもっと肝心だとおもうのですが、第二は既述の「経済」が、それを求めて向かっているところの「幸福」の概念の見直しでしょう。

例えば「お金=有形財産=有形財産保養量=幸福」という等式の見直しです。方向としてはまず「お金→幸福」から「幸福→?」と少なくとも正反対にすることがfirst of allかと。

日ごろから大法螺吹きで大言壮語壁のある自分ですが、今日はここまで大言壮語するとは自分でも意外。

家庭内で、まったく予期せぬ稀有の「ちょっといいこと」があったせいで、興奮しているからかもしれません。いや、きっとそのせいでしょう。これだけ大胆な見直しをする理由は。