うときゅういっき夜話 第六回「今、欲しいのは…」

やっと特別給付金の案内が来ました。

例の国民一人当たり10万円の給付。

しかし、なんとなく「有難さ感」に欠けるといいますか。

というのも、お店の運営のための借金の額に比べては、殆ど焼け石に水でしかないし、個人として憂さ晴らしに使おうとしても、旅行に行くにも、同じく芸者でも挙げてドンチャン騒ぎをしてストレスを発散するにもなんとなく「無言の自粛監視裁判」にかかっているようで、心晴れ晴れというという訳にもいかない。食道楽をしようと飲食店に出向いても恐らく同じ。

ならば地道に生活費の足しにでもしようかと思うと、それはせっかく戴いたものが、いかにもしょぼい形でいつの間にか消え失せているのも癪に障るので、いま少し「そんなのでいいの?」と考えてしまうことになって、戴きはするものの、戴いたものは結局「帯に短かし襷には長がし」で「誠に的を射た、いかにも有難い下されもの」の趣に欠ける気がしたのです。

せっかく下さるものにこれほどに難癖をつける自分は我儘者でへそ曲がりなのかとも思うのですが、仕事あっての家族や生活という思いから、自分の立場である「自営業経営者の視点」に立って考えてみると、端的に言って

「この10万円では希望が見えてこないなぁ」

という思いが強いことに気づきました。

であるなら、むしろこの10万円よりは、例えば

「AIを使ってお店の近隣のどこに需要の山があるかとか、役所の申請手続きを最短5分で済ませるようにしてくれるとか、ケータリングバイクを1年間無償で貸し出し、かかった費用は返済不要とか、周りの5階建て以下のエレベーターなしの団地に、外付けでそれをつけてお年寄りのお客様がお店に来やすいようにするとか」

そういった提供する側と提供される側相互に効く、実効的な需要喚起策を施してくれた方が、余程今後についての不安解消になり、やる気も起こり、先行きに希望が持てるような気がするのですが、そう思うのは、自分だけなのでしょうか?

なんかこのままだと、使うに使えず、使った気もしないうちにいつのまにかき消えてしまっていて、なんとなくもやもやした不完全燃焼感ばかりが残るような気がして仕方がありません。本当に中途半端なようにしか思えない。

お国とすれば総額、相当な支出額のハズです。だのに個人が感じる「有難さ感」は、言っちゃ悪いですが「焼け石に水」状態か「不完全燃焼感」をかえって引き起こすことでしかないような。

以下のように思うのは自分だけかもしれませんが、今一番欲しいのは当座のしのぎもありますが、それよりここを「何とかしのぎさえすれば」その後にはきっと何かが待っていると思えるような「希望」や「期待感」の方がより重要な気がするのです。

希望が見えれば、今を何とかしのげます。しかしなければ「当座をしのぐこと自体」虚しい行為にしか思えないのですが、いかがでございましょうか。