うときゅういっき夜話 第五回 「大変は大機」の千載一遇のチャンスに焦るも…
現下コロナ禍「大変は大機(Big change is Big chance)」
と書いて、このチャンスを逃すまいと焦っているわけですが、何がチャンスなのか一向に見えてきません。
例えば「New normal(新常態)」という言葉が毎日の如くメディアで踊っていますが、それも抽象語にしか見えません。
せっかく千載一遇の機会に接しながら、うかうかしているうちにその好機を逃してしまうのではないか?
それが今一番痛切に感じている心配事です。
何かヒントはないか?
で、小一時間ほどつらつらと考えてみたのですが、一つだけ思い当たったことが。
「なんかお金にはもううんざり。手垢にまみれすぎている」
10万円の給付金と言ってもいくら待っても手元には来ない。
実体経済がこれほど棄損しているにもかかわらず、株価ばかりが何故か上がる。
あろうことか、このコロナ禍で大変な目にあっている人が多いのに、特殊詐欺が非情にもそれらの人々をどさくさ紛れにカモにしている。
マスクの買い占めや消毒液の高騰。
寄って、たかって国民諸氏が給付、救済と押し寄せる反面、押し寄せられた政府や銀行も早晩、台所は火の車になりそうで、今後どうなるかはわからない。
というわけで、なんだか「お金の話にはうんざり」となったわけです。
となると、この暑苦しさを晴らす(cool down)のが、お金以外の何か新しいもの?
となったわけですが、そんなものそうそうありそうもなく。また、お金相手に喧嘩したところで、勝ち目がありそうにもなく。そもそも貨幣経済そのものをひっくり返すなどという前代未聞の大技などできるはずもありませんし。
で、またまた考えたのが
「兵法最大の目的は、戦わずして勝つ。相手のせん滅ではなく、相手を味方につける事」
だとすれば「お金を味方につける」のが得策。
で、更にさらさら考えたのが
「お金そのものに罪はない。悪いわけではない。問題は、その稼ぎ方と使い方にあるのではなかろか?」
となりました。
翻って見るに、現在はお金をいくら持っているかというお金の多寡の量に価値基準があるわけですが、それを今後は、その多寡によらず「どのように稼いで、それを何にどのように使うか」が問われるのが新常態(new normal)になるのではなかろうか?と相成った次第。
マスコミ用語的に平たく言えばESG(Environment, Social, Governance)を考えたお金の稼ぎ方と使い方が問われるのだろうと思い始めました。
そうしてそれを踏まえたところにこそチャンスがある。
が、しかし今はまだ、事業としての具体的な姿が見えてきておりません。いまだ全然。
毎日、巨額赤字垂れ流し続きです。弊社は。