うときゅう いっき夜話 第一回 「今日思ったこと、二つ三つ」

それぞれに関連はないような気もしますが、今日思ったことを二つ三つ手短に。

まずその一。

前の前の会社で、商品企画が成功したので、一つ成功話をインタビューしたいとの申し入れがあり、出たのですが。

それが大間違い。

それはその時が、一時の成功「局面」でしかなく、それ以降、ずっと続くわけでもないのに勘違いをしてしまったことがあった。

すべてはon the wayで、その過程でしかなく、とてもじゃないがいい気になって、成功話なんかして浮かれている場合ではなかったのに。突如インタビューの翌日に、ジェットコースター並みの下降局面が待っているかもしれなかったのに。

二つ目。

うつ病を治したかったら一刻も早くどん底へ落ちた方がいいと思うという話を別のところで書きましたが、それは「それが迷妄であるにすぎないことに気づくには(自然と目の付け所を変えられるようになるには)どん底に行くのが最短コース」という意味だな。

そうして、どん底は、却って「一番安心な場所」だとも。なぜなら、後は上、一方向を見ていればいいだけの安心感や落ち着きが得られるから。

そのどん底から這い上がり始めた上昇基調というのは、その見方からすると、今度は既に、上がるかもしれない上方向と、下がるかもしれない下方向、両方に目を向けなくてはならない煩雑さと、下がる可能性を得た不安を既に抱えていることでもあるな、と。

最高の成功は、同じくその見方からすると、どん底から最も距離が離れているわけだから、本来その落差のショックを考えると、最も不安になっていいはずなのに、なぜかそれを忘れてしまっている、な。

そして三つ目。

世の中というのは「愛情と数字」を両輪に動いている。

ここでいう「愛情」というのは、広い意味で「見守っている」「あなたのこと忘れているわけではないよ」ということ。「数字」というのは、これはもう端的に「お金」や「経済」

で、この二つのうち、ひとつも得られないとなると起きるのが「暴動」「破壊」「転覆」

数字はそう簡単に得られないまでも、「見守られている」「気にかけられてはいる」もっと言えば「目をかけられている」と思えれば、まだしも数字が来るのが遅れたとしても我慢のしようがあるが、数字も来ない、気にかけられてすらいないとなると、人々はもうやけくそになるしかなくなってしまうな、と。

以上、それぞれに関連があるかどうかわかりませんが、今のコロナ禍下、世界各地で頻繁に起こり始めた極めて危うい状況を見て、本日思った二つ三つを思いつくままに書いてみました。