うとQブログ 誤解を覚悟で

020/8/25

(うとQブログ 誤解を覚悟で)

コロナ禍に至る迄に、何故ここまで酷くなってしまったのか?

しかも相当広範なる範囲で。

思うに、ここまで広範だと酷くなった原因として考えられるのは「教育」位しか思い当たりません。

ではどのような教育によってなのか?

家庭教育?学校教育?職場教育?

恐らくそういう切り口では分からない様な気がします。というのは全ての段階に於いて、に見えるからです。

そうした中で、その起因を探すのは単なる犯人捜し的「責任の擦り合い」位にしか見えません。

ならば、どのような教育に起因しているのか?

こういう言い方が成り立つのかどうかは分かりませんが、自分なりの言い方をすれば

「教えない教育」のせいではないのか?と。

旧世代が新世代に教えて然るべきものを教えていない。

旧世代が教えるだけの経験をなくしてしまったのか?教えるだけの中身がないのか?教えるだけの自信がないのか?それとも教えることで食らう反発を恐れてのことなのか?

言うべきことを或いは伝えて然るべきものを教えないで沈黙してしまっている。

これを非常に大胆な、ともすると誤解を招きやすい言い方であることを覚悟の上で申し上げると

「女子供の前で、男が何も言えなくなってしまっている」

「現世代の前で、先行世代が何も言えなくなってしまっている」

弱者と呼ばれて久しい「女子供」の、完全には一致しませんが、換言すれば「教わる側」の権限が過度に増大し、その複数いる「隠れ帝王」達の前で「家臣」となり果ててしまった「男達」が何も言えなくなっているのが実態。

或いはまた現世代の前で先行世代が「抑圧者」「守旧派」のレッテルを恐れ、沈黙してしまっているのが実態のような気がするのです。

昔は「泣く子と地頭」でしたが今は「女子供と現世代には逆らうな」であるかの様な。

故に男性復権、旧世代復興、等とアナクロな事を言う気は更々なく、それこそ「男女平等」「新旧対等」即ち「New格差ゼロ」にしないといけないのではないか?とだけ。

男や先行世代が女子供、現世代の反発や非難を恐れて「教えない教育」をするに至った弊害が昨今の状況を招いている。

自らの反省も含め、そんな気がしているのです。