うとQブログ 寛容英語と不寛容英語+おまけ
2020/7/31-3
(うとQブログ 寛容英語と不寛容英語+おまけ )
「国の数だけ英語はある」
と外国の友人が言っておりましたが、どうやら
「その場の数だけ英語はある」
ようです。
当店の外国人従業員も亭主の自分も英語が母国語ではありませんし、お互いの国の文字が余りにも違う為、各々の言葉を使うには難があり、結局英語ベースで話さざるを得ないのですが、どうやらそれは「英語」というより「うとQ語」といった方がいいような代物となっております。
話は替わりますが、同じSNSの英語でもLinkedInやFACEBOOKに出てくる英語はしょっちゅう辞書を引く必要があるのですが、messengerやviber、lineのchat英語は殆ど辞書を引かなくても済むものばかりです。
はたまた、英語が母国語ではない国の大卒の人と、英語が母国語の大卒ではない人とでは、前者の方が、語彙数が多かったり、文法的に正しかったりすることもあります。
そうして更に、英語をしゃべる人達の多くは、我が国の教育でうるさく言われる時制や単数複数、定冠詞不定冠詞(the とa)について意外にも、かなり無頓着だったりもします。
こうしてみると、我が国でこれじゃなきゃ外国では全く通じませんよと言われて教わっている英語は、実は英語圏の内でも超エリート層の公的場面英語、中でも外交交渉並の出現率1%以下の英語である事が分かってきます。
これらを一言で言うと、我が国の英語(教育)は間違い探しの不寛容英語で、諸外国の英語は間違い許し(no problem)の寛容英語。
さて、如何に?
(おまけ)
彼の夏目漱石が英国留学中に抑うつ状態になり引きこもってしまった話は有名ですが、大方の推測では、得意の英語が本場英国で通じなかったからだろうというのが通説になっているようです。
が、ひょっとしたら正反対の理由からではないかと上述の記事を書きながらふと勝手な想像をしてしまいました。
曰く「英語が出来すぎたから」ではないか?と。
何のことかと言いますと、帝国大学で漱石は英語が大変できた。師として英国人もついていた。そうして、漱石は後年胃潰瘍になるほど神経質でもあった。
となれば、彼は厳密に英語を学んだ筈。そうして理解し、実際に書き、話すこともできたであろう。
ところが渡英して、下宿住まいをしていた周りの住人が書き、話す英語があまりにいい加減だったために、嫌気がさしてしまったのではないか?
そうしてこれを体験したのち、帰国した漱石は、当時弱小国だった我が国文部官僚を
「本場英国の英語もたいしたことはない。これなら我が国でしっかりとした英語教育をすれば本場英国を抜き、世界で一番英語がうまい国になれる可能性がある」
とたきつけ、それを機に、その文部官僚らによって、その後の厳格かつ厳密な英語教育が始まったのではなかろうか?
と妙な推測を立ててみました。
もちろん自分の勝手な思い付きにしかすぎませんが。