うときゅういっき夜話 「奥ゆかしい」経営を目指す?

2020/7/3

(うときゅういっき夜話 「奥ゆかしい」経営を目指す?)

今、自分が事業をしているうえで、最大の過ちは「絶望しきっていない」ことのような気がしてきました。

12年間に渡るうつ病が快癒した最大のきっかけは「自分に絶望しきった」ことであったことを思い起こすと、どうも今コロナ禍の飲食店事業運営に於いて、中途半端な打開策や延命策に無意識のうちに安堵してしまっていて、根本的な手が打てていないような気がしてきました。

いや、もう少し正確に言うと「絶望」ではなく「うんざり」仕切ることでしょうか。

これだけでは何のことかよくわからないと思いますので、幾分注釈を付け加えさせていただきますと

「お金や既得権、これまでの常識といった手垢にまみれた今までのすべてにうんざり。特に今コロナ禍を切り抜けようと「見せんが為に」ああでもない、こうでもないと喧しい(かまびすしい)メディア記事にうんざり。特に識者の「得意顔写真入り」記事、言い換えると「我こそ一番の広告臭ふんぷん」記事にうんざり」ということです。他にもいろいろありましたが、一番実感をもって感じられたのはそのことでした。

ちょっと感覚的な物言いになりますが、量的拡大による「圧倒」

位置的高さの延伸による「見下し」

費用対効果の超希釈による「はったり」

などなど、余りにも露骨で「慎みがない」ともうしますか「奥ゆかしさに欠ける」とでももうしますか、一言で言うと「度を越してえげつない」世界。

それらに本当に「うんざり仕切る」ことが今一番の急務のような気がするのです。直感的には。

例えば上記で述べた広告を例にとると、現実世界ではありえない「私が一番、私ってすごいでしょう」という今の基本的な姿を改めて、敢えてこちらからは何も言わず黙っている。但し、喧伝や宣伝はしないが、日々の努力は、表面涼しげな顔の水鳥の足掻きが如くに水面下で営々、黙々と続ける。

そうしてその事実に、こちら側からのアナウンスではなく相手側からの気づきによって発覚した時の「驚きと感心」のインパクト(波及臨界点)効果を待つ。そういった奥ゆかしさ。

この日本語の「奥ゆかしさ」の語源は、自分のうろ覚えな知識によれば、江戸時代、為政者より町家に対して華美装飾を慎むようお達しが出たのに際して、これら町家が表に面した間口は狭くとったものの、表に現れない奥行きをずっと伸ばした建築様式に替えた、その「奥行き」に由来しているもののようです。

曰く表は狭く見えるが「奥行きが深い」

で「奥が深い」ことを敢えて言わずにいることを「奥ゆかしい」と。

今般、このコロナ禍をきっかけに広告に際しても、弊社の経営に際しても、こういった方向に大転換できればいいなぁと思い描いてはおります。

まだまだ実力は遠く伴っておりませんが。